鶴ヶ城

1868年、幕末の戊辰戦争で激戦地となったお城

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会津若松のシンボルになっている鶴ヶ城の天守閣。入館は有料です。
1384年に葦名直盛により築城されたと言われており、1593年には蒲生氏郷によって7層の天守閣が完成し、鶴ヶ城と名付けられました。
その後の戊辰戦争で1ヶ月間の激戦が繰り広げられ、天守閣は損傷し、1874年に取り壊されました。
現在の天守閣は1965年に鉄筋コンクリート造で復元され、戊辰戦争や会津の歴史、会津漆器や本郷焼などを紹介する資料館となっています。
さらに、2000年には干飯櫓(ほしいやぐら)と南走長屋(みなみはしりながや)が木造で復元されました。
櫓と天守閣が長屋で繋がっているところを見ることができ、寒さに強い赤瓦を使用した屋根も見どころとなっています。

この記事を書いた人
たびる

旅好き|サイト19年目|会社員|大阪在住
仕事が休みの時にカメラを持って全国の観光スポットを巡っています。
撮影した写真がたくさんあるので観光案内や登山ガイドを掲載しています。

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会津若松
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